就職を機に離れていた稚内へUターン転職。仕事も家族も大切にできる職場へ。
2年前に稚内に戻ってきました。父が亡くなったことがきっかけです。前職では札幌の会社に10年勤続していましたが、なかなか休みが取れず、5年ほど稚内に帰っていませんでした。地元に兄弟はいますが、もっと父に親孝行をしたかったという後悔があり、せめてこれからは母親と一緒にすごしてあげたいという思いが強くなったんです。
高校卒業から20年以上暮らした札幌から離れることにし、家を引き払い、妻を連れて地元に帰ってくることにしました。現在は母親と妻と3人で一緒に暮らしています。札幌で洋裁の仕事をしていた妻もちょうどよく前職の技術を活かした仕事を見つけることができました。
私が北海道きょうりんに入社したのは、工場長と兄につながりがありまして、ご縁があって面接を受けさせていただけました。稚内に帰って来てすぐ就職が決まりとても助かりましたね。家族と物理的な距離があると、お互い顔が見えないこと特有の心配をしてしまいますが、家族の近くにいるので安心して過ごせるようになりました。前職でも朝早く仕事に出て身体を動かす作業の習慣がついていたので、異業種への転職でも苦も無く通勤しています。
40代になってからの転職・移住ですから、これからは地元にしっかり腰を据えて、働いている会社をもっとよくしていこう。住んでいる街をもっと住みよいところにしたいと思います。旭川や札幌にわざわざ出ていかなくても、「稚内にいるだけで楽しいじゃん」って、若者が色々と遊べるような街になれば良いですよね。やっぱり生まれ育った街なので、ちょっとずつ愛着も湧いてきましたし、いざ働いてみると意外といいもんだよ、と感じています!
役職の垣根なく互いの仕事ぶりを尊敬し合える風通しの良い人間関係。最高級のたらこを製造する誇りが、仕事のモチベーションに。
仕事内容は、工場内の業務全般です。たらこの仕分け、漬け込み、選別、箱詰めまでの工程すべてを行います。力仕事も多いですが、一人ではなく互いに声掛けをしながら協力して行います。男性職員は工場中を縦横無尽に飛び回り、必要なセクションで作業を行うんですよ。
以前に調理の仕事をしたことがあるので、食料品を取り扱うことには抵抗もなかったのですが、生のたらこから加工するのは初めての経験で、こうやって作っているんだと新たな発見でした。
入社をきっかけに、北海道近海で獲れたスケソウダラから採れたたらこを初めて食べたんです。40年以上も北海道に住んでいたのに初めてだったんですよ。もともと塩辛いものがあまり得意ではないのですが、正直「うまいな」って今更ながら思いました。スケソウダラの身はすり身の原料になり、そのままは食卓に上ることはない魚です。地元民にもあまりなじみがないので、この仕事につかないと気が付かないことばかりでした。漁師さんが海で獲ってきてくれたスケソウダラから、我々がきれいなたらこに加工して、明太子の原料として九州へ出荷するまで、気配り目配りが品質に直結します。
ここでは毎日、ベテランの職人さんたちが高い技術をもって取り組んでいます。その多くが、素早くたらこを目利きできる、パートタイム社員・アルバイト社員の先輩方なんですよ。どこの会社にいっても、社員より高い技術を持つパート社員・アルバイト社員がいるということは、冗談抜きですごいことだと思います。
“稚内には北海道きょうりんがある”と言われる会社になるように。
今、北海道きょうりんでは、会長を筆頭に「もっと良い会社に変えていこうぜ!」という機運が高まっています。業務効率化や働き方の改善、品質向上のための工夫など、一人ひとりの力ではできないことも、皆が団結すれば取り組めますから。社員の一人としてその期待に応えていくしかないと思っています。
社員としてこれから取り組んでいきたい目標は、最終的に1箱数千円になる高級明太子の原料を製造している自負を持ち、「はたえの明太子の原料を作っている、あの北海道きょうりん」と、全国的に知名度を上げることです。
もっと言うなら、北海道の人に、ここで作ったたらこと、(親会社の)はたえ(本社:福岡県)が作った明太子を食べて欲しいですね。北海道きょうりん発の塩たらこが、九州で明太子になり、また地元にUターンして多くの方に選ばれるようになったらいいなと思います。
本当に美味しいから、ぜひ知ってほしいんですよ。ここでの仕事、作っているもの、本当に面白いし可能性があります。地元にいて就職したい方も、一度稚内から出てUターンして働きたい方も、やりがいがある仕事に出会えるチャンスがあります。もし迷っている人がいたら、踏み出して欲しいです。一緒に働く仲間と出会えたら嬉しいですね。